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花景色-K.W.C. PhotoBlog

京都・奈良を中心に、花と緑や紅葉の景色、そして時々舞妓さんを撮影しています


by Katsu

祇園祭2017 後祭会所巡り(大船鉾・黒主山・浄妙山・鈴鹿山)

  
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祇園祭の後祭では、会所飾りを拝見する「会所巡り」をしてきました。
まずは巡行順を遡って、大船鉾~鈴鹿山までをお届けします。





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最初に訪れたのは大船鉾。
曳初めの日の夕刻、仕事帰りに行ってきました。
まだ駒形提灯が飾られていないので、全容がよく見えます。


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この大楫は「緋羅紗地波濤龍文様刺繍」。
前祭の船鉾が螺鈿細工の舵を持つのに対し、こちらは刺繍による逸品です。



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会所には、あれれ??昨年新調お目見えした龍頭とそっくりな龍が!


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こちら、瀧尾神社に伝わる龍頭。トップ画のとおり、大船鉾の龍頭作成のモデルとなったのだそうです。
天保十年(1839年)作とのこと。呉服商であった大丸が寄進しました。
蛤御門の変で焼失した龍頭は同じく大丸が寄進したもので、文化元年(1804年)作だったそう。
兄弟龍ともいわれ、元々は大船鉾の龍がお兄ちゃんだったわけです。

文化元年といえば、天明の大火で焼失した大船鉾が復活した年なんです。
大丸さん、この時の復活に尽力されたわけですね。さすが!
二度の大火による焼失を乗り越え、再び平成の世に蘇った龍頭です。


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海の神様、安曇磯良像。
巡行時は船首に乗ります。(ちなみに、前祭の船鉾でも安曇磯良は船尾の屋形に乗ります)
2015年に新調された「うこん地精好大口袴」など、衣装が鮮やかです。


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今年の巡行は龍頭ではなく、大金幣。
隔年で交代とのことで、来年は龍頭ですね。
現在は木目の龍頭ですが、これから3度の漆塗りを経て、最終は金箔が貼られる予定だそうです。


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お、もうすぐ取り付けられる駒形提灯が準備されていました。


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次に紹介するのは、黒主山。
今年の山六番です。
ここは会所飾りがカッコイイ!


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そして、今年から会所入って右側が桜で彩られました。
役員の方も「いつもこっちが殺風景やったから、桜で飾って良かったわ!」とおっしゃってました。


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ご婦人がこだわっていけておられた檜扇(ヒオウギ)。
古代、檜扇は悪霊退散に用いられたことから、祇園祭には欠かせない祭花となっています。


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この会所のメインはやっぱり御神体人形の大伴黒主。
本番では桜を仰ぎ見る姿ですが、会所飾りでは何とも存在感のある表情です。


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今年の山五番、浄妙山です。
数ある祇園祭の山の中でも非常に躍動感のある、特徴的な御神体人形。


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右が浄妙坊、左が一来法師です。
場面は平家物語、宇治川の戦い、橋合戦。

「また堂衆の中に、筒井の浄妙明秀は、褐の直垂に、黒革威の鎧着て、五枚兜の緒を締め、
 黒漆の太刀を履き、二十四差いたる黒保呂の矢負ひ、塗籠籐の弓に、好む白柄の大薙刀
 取り添へて、これもただ一人橋の上にぞ進んだる。」ベベベン(琵琶の音)

宇治橋で戦う筒井浄妙は24本の矢をあっという間に23本射掛けて12人を倒し、
11人に傷を負わせます。さらに弓と一本残った弓矢を投げ捨て、薙刀で応戦。
裸足になって、橋の骨をスルスルと進みます。そう、橋桁は平家軍の追討を恐れ、
前夜にはずしてしまってあったため、橋は骨組みだけだったのです。

5人を薙ぎ倒したあと、6人目で薙刀が折れて飛んでしまいます。すると、今度は
太刀を抜き戦います。八人を切り倒し、九人目に切りつけたところ、太刀が兜に当たり、
はずみで目釘のところから刀が抜けて川に落ちてしまいます。

なんという壮絶な戦い。浄妙は多勢に無勢で矢は尽き、刀は折れ、という状況で戦っています。
もはやこれまで。浄妙は残った腰刀(短い刀)を抜いて、死地を求めてさらに戦おうとします。


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そこへ加勢に来た一来法師。
浄妙を助けようにも、橋桁はなく、いわば平均台のような橋の骨の上で戦っているため、
浄妙の前に出ることができません。
(浄妙山の飾りは漆塗りの立派な橋ですが、実はそうではなかった(笑))

一来法師、なんとそこで「悪しう候、浄妙坊」(悪く思うな、浄妙坊)と
オトコマエなセリフを吐いて、浄妙の兜に手を置いてポンと浄妙の上を乗り越えます。
いわば平均台の上でのアクロバット。敵の前線に躍り出た一来法師は奮戦の末、討ち死にします。
浄妙はその後、何とかしのいで平等院へ戻りましたが、奈良へ落ちる途中に亡くなったと言われます。
戦いは浄妙・一来の活躍で一時源氏が優位にたちますが、「馬筏」戦法で宇治川を渡った
平家軍に逆転され、平家の勝利となりました。
しかしこの戦が源氏興隆のきっかけとなったという事で、浄妙山は「勝ち運」の山と言われます。

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さて、お次は鈴鹿山。
山四番です。
鈴鹿権現をまつる山。その実は瀬織津姫神を祀っておられます。


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薙刀を持ち、伊勢国鈴鹿山で道ゆく人々を苦しめたという悪鬼を退治した鈴鹿権現。
片肌脱ぎの勇ましい姿とは対象的に、何とも優しいお顔の人形。


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そう、こちらの御神体人形は、神面を被った瀬織津姫神。
面の下は、絶世の美女とも言われます。なので優しいお顔のお人形だったのでしょうか。

鳥居の「鈴鹿山」の文字は明治時代の京都府知事槇村正直の筆だそうです。


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金幣の向こうは鈴鹿山の見送「ハワイの蘭花図」。
皆川月華の作品です。


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雨上がりの晴れ間。
鈴鹿山の駒形提灯が青空の下に揺れていました。
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by kwc_photo | 2017-08-12 06:12 | 京都(Kyoto) | Trackback