祇園祭2016 前祭の会所巡り
2016年 07月 17日
私は宵山の朝から会所巡りに出かけました。
鉾は置いておいて、山、傘を全て回ってきました。
山鉾巡行順にお届けいたします。
前祭の先頭の長刀鉾に続く、山一番を引き当てたのは山伏山でした。
古い見送りなどの懸装品を見学した後・・・
この御方は浄蔵貴所。法観寺八坂の塔が傾いたとき、法力でそれを立て直したという伝説があります。
その浄蔵が大峯山に修行に入る時の姿を表しています。
こちらにかけてあるのは、本飾用の懸装品。
宵山までにかけてあるのは、言わば普段着。こちらがよそ行きの一張羅というわけです。
「諸悪莫作衆善奉行」の故事にちなみます。一休寺にも石碑がある禅の教えですね。
月夜を行くラクダと・・・
平山郁夫画伯の作品で「砂漠らくだ行(月)と、砂漠らくだ行(日)」です。
冬に筍を欲しがった病気の母のため、雪まみれになりながら神に祈り、筍を掘り当てた会心の笑みです。
確かに手に持つ鍬も筍も雪まみれですね。
別名、筍のさと、じゃない(笑)、筍山とも呼ばれます。
聖徳太子を祀った山です。
子どもによるくじ改めが人気ですね。
本番も頑張って!
水引の「三十六歌仙図」は柿本人麻呂から中務までの36人の歌人が刺繍されています。
その下は前懸と胴懸。日本三景です。
左から天橋立、安芸の宮島、松島です。
ある意味、祇園祭・山鉾巡行のテーマではメインなお方です。
神功皇后は、新羅出兵の折に肥前国(九州西部)の松浦川で鮎を釣って戦勝を占ったと言われ、
そのことから占出山は別名「鮎釣山」とも呼ばれます。
神功皇后が海を征くイメージがあるからでしょうか。
この御方、実は結構な超人伝説をお持ちです。それはまた後ほど。
貧しさ故に妻にも見捨てられ、寂しく芦を刈る老人。確かに寂しそうな表情です。
山口華楊の「鶴図」を綴織で再現したものです。
中央に飾ってある小袖は、織田信長から下賜されたものと言われ、重要文化財なんです。
「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖」と書いてありました。
こういうお宝をさらっと飾ってくれている会所の心意気、素敵です。
鴛鴦がいっぱいです。
京友禅で染め抜かれた「瑞祥鶴浴図」です。
このカマキリさん、巡行当日は御所車の中に人形師さんが乗り込み、
羽を広げたり、カマをもたげたり、首を傾げたり、と観衆を楽しませてくれます。
恋する和泉式部のために紫宸殿に忍び込み、紅梅を手折ってくるというロマンチスト。
このロマンチスト、ちゃんと和泉式部を妻にしたというから素敵です。
というわけで、こちらの会所では縁結び、恋愛成就のお守りや絵馬が人気です。
友人であり、彼の音楽の最大の理解者であった鐘子期の死の報に触れ、
斧を持って琴の弦を断ち、その後は生涯演奏をしなかったという故事にちなみます。
怒りと悲しみが綯い交ぜになった表情が印象的です。
天女の描かれた傘が素敵です。
先日の記事で特集した「棒振おどり」が巡行途中で数回披露されます。
中央の軸の絵にあるとおり、昔は車をつけた曳山であった時代がありました。
禁門の変による火災で消失したのですが、昭和54年に復活しました。
右足で金の卵を握っています。
こうやって見ると、曳山姿も見てみたかったなぁと思いますね。
昔、京の町を火災が襲った際、あられが降って火を弱めてくれたそうで、
その際に降ってきた天神像をお祀りしているのだとか。
実際、禁門の変を経ても焼けておらず、火除天神とも言われています。
平成21年に復元新調されました。
古くからある祇園祭にギリシャ神話の絵が飾られているなんて、不思議な御縁ですね。
会所の説明役のお父さん、中へ入ってお撮りなさい、と大サービスしてくれました(^-^)
このご老人、子どもを攫われて、独り木賊を刈りながら寂しく過ごしている姿。
仏師春日の作と伝えられます。
目玉はガラスが嵌めこまれていました。
こちら、会所の間口が狭く、祭壇の向こうにご神体人形が設置されています。
郭巨は貧しさのあまり、母か我が子を殺めることを決意。
子どもはまた授かることができるが、母はそうではない、ということで、
子どもを埋めようとして穴を掘ったところ、小判が出てきて助かった、というお話。
ん~、母を大切に、という儒教的なお話なんですが、子ども埋めちゃおうとするってね~(;´Д`)
油小路にあることからこの名前がついています。
鮮やかな梅の花を飾って巡行します。
この山はご神体人形が三体もあります。
榊と簾で見えにくいんですが、天照大神と手力男命、屋根の上に飾られる伊弉諾尊です。
船の舳先には「檄を飛ばす」の語源にもなったという、想像上の瑞鳥「鷁(げき)」が乗ります。
螺鈿細工で飛龍が描かれています。
本当に見事な細工。
占出山の神功皇后は戦勝祈願で鮎を釣って占いをし、この船鉾で出陣したわけですね。
それ故、飾られるご神体人形は緋縅の軍装なのです。
しかも・・・この御方、出陣時に妊娠中だったという・・・。
そんなわけで、軍装の下には岩田帯を巻いておられるそうで。
この鉾では腹帯を安産のお守りとして売っておられます。
船鉾で新羅に渡った神功皇后、戦勝凱旋してお戻りになるのが後祭の殿、大船鉾というわけです。
一昨年の大船鉾の復活、とても意味のあるものだったのですね。
祇園祭の物語、会所巡りに事寄せてまとめてみました。
さぁ、本日は巡行。お天気が持ちますように。